「だれか、 ふつう を教えてくれ!」

著者:倉本智明

 

弱視から全盲になった著者の障害を通して、大多数のひとがふつうとか常識とか言っているものが本当にふつうで常識的なのか問いかけるという、「五体不満足」みたいな本。

 

いわゆる健常者がふつうで、障害がある人はふつうじゃないのだろうか。

弱視のひとは全盲のひとよりも少々ふつうに近いからまだましと言えるのだろうか。

 

10代の子どもたち向けの平易な文体だが、ふつうとは何か深く考えさせてくれる。

 

では、クリスチャンの視点からみた場合、ふつうとは何だろうか。

 

 ニュージーでは

 

 この値段が普通。

 

 キウイ1個当たり18円くらい。

 

 

        White Fang 

クリスチャンの、現在の命に対する見方を一言で表すとすれば、

 

「こんなはずじゃなかった」 ではないか。

 

もともと完全に永遠に生きられるはずだったのに、だれかさんのせいで完全性も永遠性も失った結果が、死にゆく自分の命も含めた今の世界だ。なんてこった。

 

不完全な自分の愚かさや、同じように愚かな人ばかりで社会が出来上がっているという現状、その愚かさを恥ずかしげもなく垂れ流すテレビやネットその他のメディアに触れると

 

「こんなはずじゃなかった」 の一言である。

  

ローマ 8:20、22

創造物は虚無に服させられました…(中略) 22 わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです。

 

そう。クリスチャンにとってのふつうは、完全で永遠に生きられること。

 

身体障害が無くても、精神障害が無くても、知的障害が無くても、内部障害が無くても、

どんなに健康で髪の毛がフサフサでも、いまの命は所詮ふつうじゃないのである。

不完全な人間でできた社会は何をどう頑張ってもどうせふつうじゃないのである。

 

注意したところで…

  

 

 普通以上の注意を払い,

 決して流されないようにすることが

 必要です。

 

 

  新世界訳聖書 ヘブライ2:1

 

 

White Fang 

 

自分のことだってふつうじゃないと思っているのだから、相手がどんなひとであっても、どんな状況にあるひとだとしても、差別もなにもない。あるのは希望だけだ。

 

 

コロサイ3:11,12

そこにはギリシャ人もユダヤ人もなく,割礼も無割礼もなく,異国人も,スキタイ人も,奴隷も,自由人もありません。ただキリストがすべてであり,すべてのうちにおられるのです。12 したがって,神の選ばれた者,また聖にして愛される者として,優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,そして辛抱強さを身に着けなさい。

 

みんなで、このふつうじゃない状態から抜け出したい!

 

そう思っているからこそ障害の有無大小にかかわらず誰とでも互いに助け合えるし、

誰にでもこころからの愛を示すことができる。

 

クリスチャンだったら、ふつうはそう思う。