作者:西村繁男
図書館で何度も読んだ絵本。読んだと言っても文字は最初の頁にしかなくあとは絵だけ。
自分で絵に合わせてお話を作って読んでいた。貸出中になっていたときは心の底からがっかりしつつも、あの本ならほかにも読みたい子がいるだろうなと妙に納得していた。
そうしてこの絵本で育った子は銭湯が好きになる。当然の成り行きだろう。
しかし、幼少期に慣れ親しんだ近所の銭湯(三吉湯)も、風呂無しトイレ共同の木造アパートに住んで開拓をしていた時代にかよった、レトロ感百点満点の鶴ヶ丘湯も道灌湯も、今では跡形も無く建売住宅とマンションに姿を変えた。
さみしい。実にさみしい。
残っているのはテルメ末広くらいだ。

クイズ
記録に残る、人類で最初に
温泉を発見した人は誰でしょうか。
White Fang
銭湯が好きな理由はおふろやさんの絵本が好きだったからだけではない。
家族でおふろやさんに行くときの平和と安心感とフルーツ牛乳の味を思い出すからだ。
あるいは貧乏しながら充実した奉仕をしていたころの輝いてた自分を思い出すからだ。
はたまた、日の出湯の脱衣所のテレビで見た琴欧洲対朝青龍の一戦を思い出すからだ。
人は、よい思い出とセットになっている物事を好きになる。琴欧洲が勝てばなお更だ。
当然、嫌な思い出とセットになっている物事は嫌いになる。
そうか。だったら好きな銭湯が廃業しても過度に感傷に浸り続ける必要はないんだ。
三吉湯が廃業してマンションが建っても、こどもの頃の平和な思い出は消えない。
鶴ヶ丘湯が廃業して建売住宅が建っても、あの頃ささげた奉仕の価値は消えない。
ヘブライ6:10
神は不義な方ではないので,あなた方がこれまで聖なる者たちに仕え,今なお仕え続けているその働きと,こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされないからです。

答え:ホリ人のアナ
(創世記36:20,24)
なんとホットなギャグセンス!!
White Fang
思い出を大切にすることと現在の自分を成長させることのバランスを崩すと、思い出にかかわる物事に異様に拘り、執着するようになる。そうすると人としての成長が止まる。
道灌湯を存続させるために私財を擲って借金して銭湯ごと買い取ってマンションの建築を阻止してそのために奉仕をおろそかにするのが愚かだということは誰にだってわかる。
開拓の思い出と銭湯がセットだからといって、何もそこまでする必要はない。
とはいえ、そこまで極端でなくてもこのパターンで人生のバランスを崩すことはある。
自分が「好きなこと」は、本当に純粋にそれが好きなのだろうか。
それとも過去にその物事にかかわるよい思い出があったというだけのことだろうか。
もし後者なら、そのよい思い出を反芻してちょっと笑ってみるとよい。2分くらいで。
きっとその2分間でいままで「好きなこと」をする原動力になっていた感情は満足する。
そうして「好きなこと」に大幅にかけていた時間とエネルギーを、もっと有意義なこれからの自分の成長のために使うことができる。
だから、いまでも銭湯は好きだけど、わざわざ行かない。
ただ、ときどきこの絵本を開きたくなる。
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