「罪と罰」

著者:手塚治虫

原作:F.ドストエフスキ

 

白状しよう。

White Fang はドストエフスキの『罪と罰』は40ページほどしか読んでない。

本の厚さと登場人物の名前の憶えにくさのみならず、読みながら脳内に投影されるロシアの薄暗い空と寒さに反射的にしもやけができて血流が悪くなったので断念した。

仕方がないので巨匠手塚治虫の力を借りた次第。

 

この作品に関しては、


ロシア文学が漫画で読めるなんて便利!という感謝の声

単なる漫画化ではなく、手塚作品の堂々たる一角 という称賛の声

こんなもので『罪と罰』を読んだ気になられては困る というカタクルシイ声

これだから若者の活字離れが進む というワイドショーで聞いた台詞のコピペみたいな声

 

などなどあるようだ。

 

たしかに、本物を読むに越したことはない。

でも、手軽なきっかけが足がかりになるなら、そこには一定の価値があると言っていい。 

うちの親も最初からこの宗派に入ってればよかったのに

 

 

   

  これがきっかけで

   聖書を読み始めました


 

   White Fang 

『罪と罰』と聖書の共通点は、読むのが大変ということ。

入門書が欲しくなるのは人の性である。そして多くの入門書は漫画を多用している。


White Fang が大昔に親しんだ聖書の子供用入門書『わたしの聖書物語の本』は、絵がかわいくなかった。次に読んだ『偉大な教え手に聞き従う』は、さらにかわいくなかった。

(そのせいかどうかどちらも現在は新装改訂)


その反動から、中学3年頃には「『~物語の本』は、漫画にするべきだ」「アニメも作れ」

と声高に主張したものの、「真のクリスチャンは世のやり方に倣う必要はありません」

とか言われて、しばらくは背教者を見るような目で見られてた。それが今ではこれだ

ちちを尋ね求めて



 あなた方は、固い食物ではなく、

 乳を必要とするような者と

 なっています。


  ー ヘブライ5:14 ー


大人でも、聖書を初めて学ぶときに必要なのは『乳』であって『固い食物』ではない。


まして子どもなら漫画でもアニメでもいいじゃないか。中身が正しければ。


ペテロ第一 2:2

生まれたばかりの幼児のように,み言葉に属する,何も混ぜ物のない乳を慕う気持ちを培い,それによって成長して救いに至るようにしなさい。


悪いのは漫画でもアニメでもない。そこに余計なものを混ぜることだ。

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コメント: 2
  • #1

    OKAMO (木曜日, 28 5月 2015 18:13)

    先日はご意見ありがとうございました。最近の「タブレットを持っている=組織と歩調を合わせている」感(あくまでも個人的な感想ですが笑)が、どうもうーん…という感じだったのですが、紙であれデジタルであれ聖書そのものにより精通することを目標に、でも音信をより効果的に地の果てにまで伝えるための今の時代に合わせた奉仕という意味ではもう少しデジタルにも関心を持ってみようかと思います。

    私も幼い頃は聖書物語のリアルなイラストに若干恐怖心を抱いたことがありました…。漫画やアニメはタブーでも人物を覚えるための「聖書かるた」やクリスチャンの生き方を題材にした「人生ゲーム」などを個人的に作っては交わりに持参してこられる方がおられ半ば強制的に参加させられたのを覚えています笑。私の5歳になる娘は聖書物語よりは偉大な教え手、ダビデとノアのDVDよりは断絶カレブとソフィア派のようで…なんとも贅沢な…そのうち子供のための聖書ゲームアプリなんか出たりして⁈笑。でも改訂版聖書の発表予想が大きく外れたので、勝手な期待や憶測は差し控えたほうが良さそうです(^_^;)。

  • #2

    White Fang (金曜日, 29 5月 2015 07:01)

    OKAMOさん、毎度コメントありがとうございます。
    ご家族でjw.org を楽しんでおられる様子が目に浮かぶようです。実に微笑ましい。
    たしかに今の子供たちのために備えられているものは贅沢でうらやましいですが、そのぶん子どもたち自身の責任も育てる側の責任も重くなっている気がします。「だってあの時代のうちの会衆はカルトみたいだったもん」という言い開きが通用しなくなるでしょうから。
    ちょっと思い出したので、ブログ内の写真を変更しました。ベテル見学でソフィアとカレブと一緒に記念撮影です。
    改訂版に関しては・・・出エジプト記 14:14 後半ですね。(反省。)