著者:レフ・ニコラエビッチ・トルストイ
トルストイ晩年の民話形式の著述には時折聖書の言葉が含められている。
それぞれの聖句の意味をきちんと黙想するのに役立つ材料になる、新世界訳聖書読者なら必読の作品が勢揃い。
学んだことを当てはめるとき、自分が今まで持っていたあまり正しくはない考え方に沿ってあてはめてしまって結局少しも成長できないことがある。
例えば、ルカ18:9-14 の収税人とパリサイ人の祈りのお話。
ルカ18:11
パリサイ人は立って,これらのことを自分の中で祈りはじめました。『神よ,わたしは,自分がほかの人々,ゆすり取る者,不義な者,姦淫をする者などのようでなく,またこの収税人のようですらないことを感謝します。

「なんでオレが汚れた動物なんだよ」
「…態度が悪いから」
White Fang
(レビ記11:17)
この話の教訓は何だろうか。「自分を高めるのはよくない」とか、「自分を人と比べるのはよくない」という意味だけでは不十分だ。
「このパリサイ人はよくない。わたしはこのパリサイ人のようにならないように気を付けて、人と比べないようにしよう。」と考えると、いつのまにか、聖書を正しくあてはめられていないパリサイ人と自分を比べて自分を高めることになる。
それは結局、『神よ、わたしは、自分がこのパリサイ人のようでないことを感謝します』ということになり、このお話の教訓は得られていない。
パリサイ人と収税人の祈りのお話の教訓は、
神の前で自分だけをきちんと見つめる必要があるということ。
自分は何らかの特権を与えられているから、その特権を受けていない人よりもよい奉仕ができているとか、自分より辛い状況にある人と比べたら自分はもっと頑張らなきゃいけないとか、そういう考え方はクリスチャンの思考回路ではない。
ただ単に、自分自身を見つめればいい。

三人の隠者
White Fang
「三人の隠者」を読むと反省させられる。
無意識のうちについついこのお話と同じ過ちを伝道でしてしまうことは多い。
自分が聖書を伝える相手をどうみなすか、自分の観点を見直す良い教訓が得られる。
伝道に出かける前に読んで、さわやかな平衡のとれた態度で人々に真理を伝えよう。
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