著者:マイケル・サンデル 訳:鬼澤忍
(サブタイトル:今を生き延びるための哲学)
其の二 思考回路のウラと流行語
(「其の一 黄金律の誤解」はこちら)
この本の目的はなんだろう。
この本の元になっている、著者の大学での講義の目的はなんだろう。
道徳と正義、その法制化について考えることだろうか。
敵の攻撃を受けながらも勇敢に戦って負傷した元軍人には勲章が与えられる。
敵の攻撃を受けながらも勇敢に戦い無傷で帰還したが、エンジン音や破裂音を極度に恐れ夜も眠れず精神科に通うようになった元軍人には勲章は与えられない。
つまり、「負傷」した軍人に栄誉を与えるという法律の基準は、「血を流さなければ栄誉には値しない」「心を負傷する奴は弱虫だ」という体育会系の思考回路に基づいている。
この、勲章を授ける基準を定めている法律は道徳的に正しいのだろうか。
…まあ、確かに話題としては興味深い。暇つぶしにはなる。
お金に困って腎臓を片方売るのは正しいだろうか。それでも足りなくてもう片方の腎臓も売るのは正しいだろうか。死ぬかもしれない、あるいは確実に死ぬとわかっている行為をするのは、本人の意思によるのであれば許されるのだろうか。
どこまでが許されてどこからはいけないのかを国家の権威で法律で線引きするのは正しいことなのだろうか。
…まぁ、確かに話題としては興味深い。でもそんなに暇じゃない。

殺すのは食べるときだけ
それがジャングルの掟だ。
守ってねぇのは… ニンゲンだけだな。
White Fang
道徳について考えるなら、命について考えることになる。
そうすると、命はどこから来たのか考えなければならないはずだ。
しかしこの本では論議を進める前置きとして
「神ナシで道徳について考える」
と、ちらっと書いてある。
つまり、この本を読めば読むほど、神を度外視した思考回路が身につくことになる。道徳や正義なんてテーマは着ぐるみみたいなもので、何を隠そう真の目的は、物事を考えるときに神を無視する癖をつけさせることにある。
だいたい、世の中で流行る物事や言葉は同じ目的を持っている。聖書が教えている事柄と反対のことをさせようとするものが世の中では流行る。
いくつか例を挙げてみよう。

この、ヘンな生き物は
まだニュージーにいるのです
・・・・・・・ たぶん
White Fang
等身大
「これがあたしなの。いい加減慣れて。」
等身大の自分でいようとすると成長しなくなる。自分らしくのびのびするという意味だと思ったら大間違いだ。むしろ聖書はこう教えている。
エフェソス4:15
わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう。
負け犬
「30代、未婚、子どもなし」
それが何で負けなのか。しかも犬とは。流行語を真に受けるとショックでついつい聖書の教えを忘れてしまう。
マタイ19:11
天の王国のゆえに自らを閹人とした閹人がいるのです。それを受け入れることのできる人は,受け入れなさい。
つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの
完全な人間などいないのだから仕方がない。そう考えていたら結局何をしてもよいことになる。神の許しに安らぎを得ることとそれにつけこむことは全く別だ。
ユダ4
不敬虔な者たちが,わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変え,わたしたちの唯一の所有者また主であるイエス・キリストに不実な者となっている。
もっといろいろネタを挙げたいのだがキリがないのでこの辺で。
なにか新しいものが流行ったら、それに含まれているウラのメッセージと、そのメッセージと反対の意味の聖句を思い出そう。
それから、共通のウラの目的があるということは、黒幕がいるということも忘れずに。
エフェソス6:12
わたしたちのする格闘は,この闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものです。
attractionの正体は、distractionなんだ。
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