著者:マイケル・サンデル 訳者:鬼澤忍
(サブタイトル:今を生き延びるための哲学)
其の一 黄金律の誤解
どんなに優秀な脳ミソをお持ちの方たちであっても、聖書にもそれを書かせた神にも従わないで生きていこうとすると、自分の行為や思考の正当性を主張するだけのために人生のエネルギーをほとんど使い果たしてしまって、頭のいい人たちが生きていくのは実にたいへんだということがしみじみわかる一冊。いやはや、ご苦労様です。
このジャンルの思考回路の目的は昔から変わらない。正義とは何か、道徳とは何か、それをどのように司法立法行政に反映できるのか…では決してない。
でもこの話題は「其の二」で。
第五章のカントの道徳哲学について書いているくだりで、カントの言う「すべての人格を理性的な存在として尊重すること」と、黄金律の違いを説明している。だが、ここでなされている黄金律の説明がよくあるパターンの勘違いなのだ。
ルカ5:31
また,あなた方は,自分にして欲しいと思うとおりに,人にも同じようにしなさい。
よく読めばわかるのだが、シンプルな言葉だけに勘違いされやすい。
「とおりに」の部分から、「自分が思うとおりのことを」と解釈してしまって、「自分にしてほしいことをその通りに人に対しても同じようにしなさい」と思い込んでいる人がほとんどすべてではないか。そのような誤解に基づいて行動して失敗して傷ついたり傷つけられたりした人もいるかもしれない。しかし、それは誤解なのだ。
実はこの聖句は、「自分にしてほしいと思うことがあって他の人がそうしてくれることを期待するのであれば、人にもそうしなさい」と言っている。
参照資料付き聖書の脚注には、「あなた方は,自分にしてくれるようにとあなた方が願っているとおりに」と書かれている。
つまり、この黄金律の意味は、
「自分がしてほしいと思うとおりのことを人にしてもらった時に嬉しいのであれば、人にはその人がしてほしいと思っているとおりにしなさい」ということ。
これがカント哲学と同じかどうかを論じても何の価値もないので省略する。
よく考えてみれば、「わたしだったらそうしてほしいから」というだけの発想で、自分が望んでもいないことをいかにも親切そうに押し付けられたら、ただの迷惑ではないか。

別に人間に保護してもらいたかったわけじゃ
ないんだけどな。
White Fang
極端な例で考えてみよう。
あなたは、じぶんが落ち込んでいるときは一人でひたすら落ち込んで、気が済むまで落ち込んで、もういい加減落ち込むのも飽きたというくらい時間をかけて落ち込んでそれからじっくり元気が出てくるタイプだとする。そんなあなたが心おきなく落ち込んでいるところに、脳ミソまで全部筋肉でできていて神経などないかのような人(つまり、無神経な人)がいきなり登場し、「自分だったら大きな掛け声でビンタされたら気合が入るから」という純粋で美しい親切心からあなたの前に突然登場し、「元気ですか―」の雄たけびとともにいきなりあなたを力一杯ビンタしたらどうだろうか。一発のビンタですぐに元気が出ないあなたを見たその人が、すかすさずさらなる親切を示して、二発三発とビンタを繰り返したらどうだろうか。やっぱり聖書の教えは真実だ。黄金律って素晴らしいと思うだろうか。(※ 実在の人物のパフォーマンスを批判するものではない)
「自分だったらどうしてほしいか」と考えるのはスタート地点であって、目標ではない。まして、「そのとおりに」すればよいわけでもない。
恋愛でこの勘違いをやってしまうと確実に失敗する。異性がお互いに「自分だったらこうしてほしいから」と考えて接していたらすれ違うこと間違いなし。そしてすれ違ったときに、「そんなのヘン」とか、「普通は~でしょ」などと言って否定してしまったら確実に深く傷つける。自分にして欲しい通りに相手にしていないからだ。
「彼は男の子だから、女の私がしてほしいと思うことをそのまましてあげても喜ばないかもしれない」
「彼女は女の子だから、男の自分とは違うことを望んでるかもしれない」
黄金律を正しくあてはめて考えれば、異性に自分を尊重してもらいたいという気持ちを、異性である相手も持っていると発想できる。自分が異性にしてもらって嬉しいとおりのことを相手にしてほしいのであれば、相手が異性にしてもらって嬉しいと思うことはなんだろうかと考える。それが、黄金律。
政治哲学の論議中に黄金律を登場させるくらいに聖書を知っているはずの国民でも同じ勘違いをしていることにはちょっとがっかり。
せっかく聖書が正しいのだから、正しくあてはめなきゃ。
タイトル一覧に戻る
コメントをお書きください
Randa Heppner (金曜日, 03 2月 2017 05:06)
It's remarkable to pay a visit this web site and reading the views of all colleagues on the topic of this paragraph, while I am also eager of getting know-how.